鬼のボス(あのお方)はどんな存在か?何故、鬼の頂点に立っているのか?七つの壁への行き方・原初信仰の神の関係などから考察

週刊少年ジャンプ 2019年19号
約束のネバーランド 第130話 報告 より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか




130話にて、ついに七つの壁へ行くのに必要なもの・条件が明かされた。

金の水に月を映し、ヴィダに血を吸わせようとしている、という断片的な情報。まだ詳細は分かっていないが、これまでと比較するとかなり大きな情報と言える。



中でも特に気にかかるのは、ヴィダ。神へ糧を捧げる、儀程に使われる花だが、ソンジュいわく「神への敬意なしには成立しない」。

ソンジュの信仰する神と、現在の約束を結んだ鬼のボスは相反する思想があるにもかかわらず、そのヴィダを使う。

この矛盾は以前から感じていたが、「七つの壁」への行き方にも使われるということで非常に重要度が増した、と考えている。

鬼のボスが一体どんな存在なのか? 王族をも超える権力をどのようにして得たのか?ということに近づきそうなので、これについて考えていく。



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ヒントになりそうな情報


まずは、鬼のボスや七つの壁、原初信仰、ヴィダや儀程などについて、今わかっていることをまとめていく。

重要そうな要素は以下の通り。



【鬼のボス】

1.鬼のボス(あのお方)はすべての鬼の頂点に立つ存在。七つの壁を超えた先にいる

2.寺では竜の目とともに、ボスに似た鬼が祀られている


【七つの壁・昼と夜】

3.七つの壁へ行くには、金の水やヴィダを利用する


【原初信仰】

4.神が作った命を、狩りという形で食べなければ、「神への反逆」にあたる

5.儀程は神への糧を捧げるための行為で、神への敬意なしには成立しない



それぞれ簡単に見ていく。


【鬼のボス】


1.鬼のボス(あのお方)はすべての鬼の頂点に立つ存在。七つの壁を超えた先にいる




約束のネバーランド 第99話 クヴィティダラ より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



まずペンの情報によると、鬼のボスはすべての鬼の頂点に立つ存在である。

で、七つの壁を超えた先、「昼と夜」にいるという。


実際、農園を運営している貴族から祈りを捧げられる対象となっているし、鬼のボスに捧げられる最上物の食用児は、政権のトップである王族ですら食べることができないとギーラン卿が言っているため、鬼が従う存在であるのは間違いないだろう。



週刊少年ジャンプ 2019年14号
約束のネバーランド 第125話 嘘吐きの同盟 より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



2.寺では竜の目とともに、ボスに似た鬼が祀られている




約束のネバーランド 第103話 あと一手 より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



そして、七つの壁や昼と夜への行き方のヒントとなった寺では、

エマが「鬼のボスに似ている」と感じた存在が、竜の目とともに祀られている。

すなわち、鬼のボスが祀られている理由に、「竜の目」の力が関係している可能性が考えられる。


【七つの壁・昼と夜】


3.七つの壁へ行くには、金の水やヴィダを利用する




週刊少年ジャンプ 2019年19号
約束のネバーランド 第130話 報告 より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



そして、現時点での七つの壁への行き方として、金の水やヴィダ、月を利用することが分かっている。

金の水に月を映し、ヴィダを用意してエマとレイが血を出そうとしているところまでが確認できている。

金の水を貯めた盃を月に照らす様子は、寺の天井絵にも描かれている。

ヴィダや、それに血を吸わせることと、金の水がどう関連しているのか現時点では不明だが、少なくともヴィダを利用する、ということが新しい情報といえるだろう。


【原初信仰】


4.神が作った命を、狩りという形で食べなければ、「神への反逆」にあたる




約束のネバーランド 第51話 B06-32① より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



原初信仰の教義では、「神が作った命を狩りという形でいただくならば、神への反逆にはあたらない」というものがある。

すなわち、神が作った命ではない、農園産の食用児を食べることは教義違反にあたるため、信者であるソンジュは「約束によって信仰が歪んだ」と言っている。


5.儀程は神への糧を捧げるための行為で、神への敬意なしには成立しない




約束のネバーランド 第49話 教えて より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



そして、その原初信仰の信者であるソンジュが、ヴィダを使った儀程についてこう言っている。

「儀程は神に糧を捧げる行為」「儀程は神への感謝 敬意なしには成立しない」と。

ここで言う「神」はソンジュが言っていることから、まず間違いなく原初信仰における神である。


しかし、この原初信仰に背いている農園の職員もヴィダを用いた儀程を行っているし、

約束を結んだ鬼のボスのところへ行くのにも、ヴィダを利用することが分かっている。


鬼のボスもヴィダと関連が深いことが分かるが、相対する原初信仰の教えも反映されているということに違和感がある。



このあたりをふまえて、鬼のボスについて考えていく。



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鬼のボスと原初信仰の神の関係――同一の存在か?


まずは、鬼のボスと原初信仰における神の関係について考えていく。

前述したような、「農園社会における儀程、約束を結んだボスと会うためにヴィダを使用する」といった矛盾だが、

同一の存在(ボス=神)が心変わりした、という可能性がある。

これならば大きな問題はないため、ボスと神の関係性について検討してみる。


結論としては、鬼のボスと原初信仰の神が同一の存在である可能性は低いと見ている。

その理由は、原初信仰の信者であるソンジュの行動や言動から。

ソンジュは特上の食用児であるエマたちを前にして、一切食べる気配を見せなかったため、信者であることは疑いようがない。

もし、鬼のボスがもともと原初信仰の神だったが、方針を変更したという場合、彼は現時点でも信仰を続けるとは考えづらいだろう。

また、呼び方も「鬼のボス」と「神」で区別しているため、基本は別の存在といえる。



また、ムジカのモノローグからも、鬼のボスと神は別の存在であることが明らかといえる。

エマたちと別れる前、「神様 どうかエマ達に御慈悲を 私の異し種族の友達に どうか光を」と祈っている。

もし鬼のボスが神であれば、脱走した彼らに希望を与えるようなことはないだろうから、こういった祈りは適切ではない。

すなわち、ムジカの考える神は鬼のボスとは同一ではないと考えられる。


以上をまとめると、鬼のボスは神のような権力を持つが、少なくとも原初信仰における神と同一で、考えが変化したというわけではないようだ。



鬼のボスはどんな存在か?何故王族を超える権力を持つのか?


原初信仰の神ではないとするならば、何故寺のような場所で崇められ、王族ですら食べられない最上物を献上されるのか?

この権力の根源は一体どこからくるのか? 一体鬼のボスはどんな存在なのか?ということを考えてみる。


ここまで考えたことをまとめると、

・鬼のボスと原初信仰の神は同一の存在ではなく、思想は真逆である

・しかし、原初信仰から続く、神への感謝、敬意なしに成立しない「儀程」は継続して行われている
そして、それに使うヴィダはボスへ会いに行くのに使用する


ということ。

つまり、「別の存在なのに、未だにヴィダなど、原初信仰の文化も継続している」ということがはっきりした。

その上で、これが違和感なく成立する説を考えてみたので紹介する。


それは、「鬼のボスと一緒にいた竜が原初信仰の神である」という説。



約束のネバーランド 第101話 おいで より引用
(C)白井カイウ/出水ぽすか



すなわち、「原初信仰における神=竜」は未だに存在するが、鬼のボスによってそれが制御、支配されている。

そのために、鬼のボスは権力を持っているし、儀程=神への敬意は成立する、という言い分。


少なくとも、最初に気になっていた矛盾は解消される。

次に、これが妥当かどうかということが気になると思うので、根拠をいくつか挙げていく。


根拠1:竜は「神」といって差し支えない力を持つ


まず1つは、「竜」という存在について。

ラートリー家の家来が残した手記によると、クヴィティダラの竜の目は「何でも見通す」力を持つ。

実際に「竜の目」を模した遺跡は存在していたし、過去にそこで祈りを捧げる鬼も描かれている。

また、人間側の手記であるため、「神」という表記でないことも説明が付きうる。



根拠2:鬼のボスは祀られ、竜の目の遺跡は廃れている


そしてもう1つの根拠として、鬼のボスと竜、両者の祀られ方がある。

もし、鬼のボスが竜の力をコントロールできるのであれば、竜そのものを崇める必要はない。

つまり、信仰の対象は竜(=神)から鬼のボスへと移ることになる。


そうなったとき、かつて祈りを捧げていた場所である竜の目の遺跡が廃れることに大きな違和感はない。

一方で、鬼のボスが、”竜の目と共に”祀られていることにも説明がつく。鬼のボスが竜の目の力を行使することができる、から祀っている、といえるだろう。


というわけで、昼と夜で鬼のボスとともにいた「竜」こそが、もともと崇められていた原初信仰における神。

それを鬼のボスがコントロールすることができるようになったから、崇拝の対象となった、という話ではないかと考えている。

以下に結論を詳しくまとめた。




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結論


鬼のボスは一体何故、王族を超える権利を持つようになったのか、一体どんな存在なのかを改めて考えてみた。


今回七つの壁の行き方として、ヴィダを使うことがわかった。

ヴィダは原初信仰の信者であるソンジュが、「神への感謝」であるグプナに使用すると語っている。

原初信仰と相反する思想である約束を結んだ鬼のボスがヴィダを使うということに違和感があったので、そこから考えてみた。


まず、鬼のボスがもともと原初信仰における神であった可能性を考えてみた。

要するに、信仰の対象が別の鬼に変わったのではなく、神の考え、教えが変わったという可能性だ。

これは、ソンジュが未だに「神」と「鬼のボス」を切り離していることや、原初信仰の教義を遵守していることから、基本的には考えづらい。

だから、鬼のボスと原初信仰における神は別の存在である可能性が高いと考えている。


鬼のボスと原初信仰における神が別の存在であることは分かったが、そうなるとまたややこしい。

何故、原初信仰の文化であり、原初信仰の神への敬意がなければ成立しないという、儀程が未だに存在し、成立しているのか。

ソンジュの言うことが事実なら、農園社会では儀程は成立しないはずだ。「(原初信仰の)神への敬意・感謝」といったものが存在するはずがないのだから。


ではどういう状態なのか?

考えてみた所、「鬼のボスと神は同時に存在する」可能性に思い至った。

そして、鬼のボスと共にいて、その上で「神」と呼べる力を持つ存在として、「竜」が挙げられる。

すなわち、鬼のボスが神であった竜を、制御することができるようになったのではないかと。


これであれば、

「鬼のボスが崇められる理由(=竜の目の力)」

「七つの壁・昼と夜に行くのにヴィダを使うこと、未だに儀程が成立すること」

「ソンジュが未だに原初信仰を信仰していること」

「竜の目の遺跡が廃れ、寺では鬼のボスと竜の目が祀られていること」


などの全てに説明がつくので、今のところ有力だと考えている。



おわりに


本日も22時より配信予定





七つの壁への行き方とか、アニメについてとかも話す予定なのでぜひ見て欲しい。
(今回も音声だけ。ラジオ的に見れてこっちのほうがいいかもしれない)








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